「宇宙と一つになって生きる」− 今望まれる 唯一の在り方 −  その機会と環境:「真の教育のための学校」NOW <Normalized Organism for the World>(企画推進室:Art Libra)

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「真の教育のための学校」NOW とは

鶴飼哲也

先日5月17日より、「真の教育のための学校」NOW の日常のカリキュラムがスタートしました。

昨日で2回目が終わりましたが、いずれも大変素晴らしいものでした。

馬渕も、「天国の姿を見ているようだ」としみじみ申しておりました。

解散の時刻を迎えても、子供たちは水路の改善作業のスコップを離そうとしませんでした。振り返りの時間、「泥を掻き出して流れを整える作業がとても楽しかった」と言った時の表情は、風呂上がりのように美しく安らいでいました。

私も、座学や作業の様子やレクチャーの内容を、ぜひとも収録しておきたかったです。しかし、生の現場、その時その空間とひとつになることが最も重要ですので、現在の人員では、事後報告と、新たに始まる体験プログラムでのご紹介となります。

初日(5/17)と二日目(5/19)ともに、立体的で調和した、素晴らしい内容でした。実際の内容は、後日改めてご報告します。

本日は、5/15に行なわれたミーティングの議事録の一部ご紹介致します。「真の教育のための学校」NOW の全貌が示されていますので、ぜひご覧ください。

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2016年5月15日 19:00〜22:30
議題:今後(6月〜8月)のスケジューリング
重要ポイント:「真の教育のための学校」NOWの日々のカリキュラム

鶴飼:本日は急きょお集まりいただきました。ありがとうございます。議題は、近々のプログラムの日程決めなのですが、まずその前に、本日の午後から夕方にかけて、五月雨式に送られてきた「真の教育のための学校」NOWに関するメッセージを共有します。

「真の教育のための学校」NOW の日々のカリキュラムとして、明日からでも本質的な学びを開始しなさいというメッセージがありました。そして、このことを共有することによって、今後のスケジューリングが明らかになるとのことですので、まずメッセージの共有から入りましょう。

では参ります。


<「真の教育のための学校」NOWの日々のカリキュラム>

当面、週2、3日(火曜木曜が基本)。9:00集合、16時解散。

<作業>

午前中は、全体性を深める体験の後、環境改善を中心にした作業を行ないます。
この「環境改善」は多岐に亘っていて、畑、柵、乾燥棚作り、間伐、小屋造り・・・など、あらゆる活動がその場の環境を整える、即ち、理想的な空気と水の通りを整えることに繋がっている、本質的な活動を一括りに「環境改善作業」と言っています。これこそが「自然に即した生き方」であり、太古の民族や現代人を除く全ての生命体は、理想的な環境を作りながら、自分たちの営みをしているのですが、「環境改善作業」とは、正に「自然に即した本来の生き方」そのものと言えます。

畑でも、動物除けの柵をする際も、山から水を引く際も、あらゆる行為、あらゆる活動において、その場の環境をより整えるという形で進めていくので、「環境改善作業を行う」と言った中に、人間の営みに必要なすべてが入っている訳です。その様に生き、学んでいく過程で、人として、生き物として、イノチとして学ぶべきものすべてが、体験されるのです。

それが午前中の「作業」です。


<食事>

そしてお昼ご飯。
当面は「お弁当」ですが、ゆくゆくは、そこで採れたものを、外で調理しながら、山から引いた水で、作る。これもすごく大事なことで、そこにも、火と水と土、すなわち、人が悟るプロセスで内的に体験する宇宙のエッセンスを、調理の場でも、視覚的にも味覚的にも体験できます。

そこには、生物の学び、栽培の学び、生態系の学び、季節、旬の学び、陰陽、調理でも、呼吸、姿勢、意識、科学、技術、愛・・・もう無限に、教育のための、つまり覚醒のための究極のガイドがすべてある訳です。

しかし、まずは、お弁当からスタートすることになると思います。

そして、相応しいタイミングで、建屋が出来たり、小屋を自分たちで作るプロセスもあるかもしれません。とにかく、これらすべての過程が、本質に目覚めるための、天命が開くための、学びになっていきます。


<学習>

午後の時間は、特にこれからの季節は暑くもなってきますので、外で過ごすなら山の中、または室内で座学や本質を学べるビデオを、解説付きで鑑賞するなどもあるでしょう。午前中に体験した作業を、あらゆる角度から切っていく、そんな形で、国語、算数、理科、社会、物理、地学、家庭科、技術・・・そういった学びがセットの、一連の学びの機会になっていきます。

年齢はもちろん問わず、でやっていく訳ですけども、例えば、スライヴというドキュメント映像がありますが、あれは、宇宙の真理を、CGも使いながら、解説しているわけですけれども、科学的なバックグラウンドを持たない人でも全体像を把握できるように、非常によく作られています。ところが、その中身に強い関心を持ち、科学的にも把握したいと思った場合に、そのことを学べる機会というのも非常に大事になってきます。

ですから、あらゆる年齢、あらゆる役割の人たちが、あらゆる角度から、例えば数学的に、天文学的に、物理学的になど、どんな視点からでも好きなだけ深め、学習できる機会が、午後に設けられている、ということです。

例えば、矢野智徳さんも、山一つ分の植物園の家に生まれ、兄弟10人で力を合わせて植物の世話をしたそうですが、子供は小学校一年生になると働き手として「入門」し、仕事を仕込まれ、学校に行く前も帰ってからも、ひたすら土を作ったり、草刈りや剪定などの仕事をしていたそうです。

また、嘗てのネイティブアメリカンやアボリジニなど、自然と一体となって生活している部族、民族などでも、智慧者や長老を中心に、日常の中から宇宙の真理を学んで生きている、そういう暮らしがあったわけです。


<対象>

そして、「真の教育のための学校」NOW は、どの様な子たちが集まって来るかというと、親が「本質と繋がった生き方をする」と明確に選んでいて、子供自身も、学びであれ遊びであれ、その場その空間に積極的に関わりたいという意志を持っていることが大事になります。

具体的には、親がACT YOGAの短期集中コースに参加した経験があり、子供も何らかのプログラムに参加して、興味を持っていることが、一つの目安になります。

つまり、現状として不調和が現れている現在の地球社会を本来の調和した状態に繋いでゆく過程で、リーダー的な役割をする子供たちが沢山生まれてきている訳ですけれども、もちろん、「リーダー」と言いましても、表に立つリーダーや陰で支えるリーダー、ただモデルを示すリーダーなど、役割、天命によって、様々な表れがあるわけですが、そういう本当の意味のリーダーがリーダーとしてスムーズに成長してデビューしていく、大人になっていく、その「学びの場」、つまり、本当の意味でのエリート教育が行われるのが、「真の教育」のための学校ということです。

最終的には、「来る者は拒まず、去る者は追わず」ということになるのですが、これは、最終的には、つまり、発振が充分に蓄積すれば、そのことを選んでいる人しか来なくなる、ということであり、それが、いわゆる「完成された状態」です。

そうなるまでは、明確に発信して、そのことを明確に選択している大人や子供がジョインしてくる、という形になります。

基本的に、作業は、大人も子供も一緒になって行います。そして同じ学びをします。もちろん、親の中で、天命の仕事をするために、子供を預けていくケースもあるでしょうが、NOWは、託児所ではないので、基本的に、親も子供も共に作業し、共に学びます。


<経済活動>

また、大人たちは、環境改善作業もするのですが、同時に、子供も手伝いながら参加できる様な経済活動をしたら良い、というのがあります。具体的には、スギナやヨモギやドクダミなどの薬草を乾燥させお茶に加工して販売する、それも「真の教育のための学校」NOWという活動に賛同し応援したいという人たちに買ってもらう、ということをします。

すると、「発振」についても学ぶことができる、文章についても、最低限のITについても、流通についても学ぶことができる。ですから、あらゆる活動が、同時に、子供や大人が自分の役割を生きるために必要な学びになっている、というのが「真の教育のための学校」ということになっています。ですから、「これは食事の時間です、これは理科の時間です、これは経済活動です・・・」という風に分断しない、全部が一体となって、たった一つのことを学んでいる、「イノチの本源と繋がって行く機会という日常」、それが「真の教育のための学校」であり、その動きを、もう、「明日からでも始めなさい」というのがメッセージです。


< NOW >

馬渕:こうやって聞いていると、改めて、「真の教育のための学校」の翻訳が完璧だと分かります。「Normalized Organism for the World」=「世界のための正常化された有機体」、つくづく完璧な翻訳だと思います。

鶴飼:で、この「NOW」という名前に決まるプロセスにもストーリーがありまして、「真の教育のための学校」に何か名前があることを感じ取り、いくつも候補を挙げ、本質的で深くてかっこいい名前がかなり挙がったのですが、どれも、「2番手」とか「3番手」とか、「それは違う」ばかりで、なかなか答えに辿り着きませんでした。その中で、やっとピンと「NOW」がひらめき、「完璧!」となったのですが、ふたを開けてみたら、その「NOW」がいかに完璧か、今、改めてはっきりしたわけです。

馬渕:「NOW」って、頭文字もそうだけど、「今」っていうのもすごいよね。「今ここ」しか存在しないわけだから、「NOW」は唯一の実在も表している。

Y:キャッチしたのは、「NOW」が先だったのですか、それとも、「Normalized Organism for the World」が先だったのですか?

馬渕・鶴飼:「NOW」が先です。

鶴飼:で、「NOW」をよくよく見たら、「これ、何かの頭文字でもあるわ」というのが分かって。

馬渕:そうそう。で、「真の教育のための学校」を訳すなら、これは「school」ではないから、「Normalized Organism」ようは、「ノーマルになった有機体」、それも、「for the World」:「この世のための、世界のための有機体」、という意味で、「そうだそうだ、やっていることはまさにそれだ」、となったのです。

ようは「分断」がなく、大人も子供も、世代も、教科も、生活そのものも全部、有機的に繋がっているものでなければおかしい。コミュニティーとしても。

A:では、今後、そういうことも、もう少し解説したいですね。

馬渕:そうそう。私も勉強会で話すときは、タタタッと解説したりはしてきたのですが、これまではちょっとコンパクト過ぎましたね。

A:そうですね、英語としては残りましたが、意味として充分落とし込めていませんでした。

鶴飼:まさにこれが授業の一環なわけです。本当にこのことを正しく話そうと思ったら、「授業」になりますね。

馬渕:今回のこの「日程決め」ミーティングの前の「メッセージ共有」の内容を聞くだけでも、もう充分授業ですもんね。しかも、相当なレベルの。


<どこで、どう学ぶか?>

鶴飼:また、子供たちと、既存の公立ないし私立の小中学校との関係がどうなるか、という一つ重要なテーマというか、問いがあるわけですが、まずは、そのことを子供自身がどう選ぶか、というのが大きいです。「両方体験した上で、選びたい方を選ぶ」というのは、非常に良い選択の仕方です。

「真の教育のための学校」NOWで学んでいくと、日々の学びの中で、文部省が定めている中学校卒業までの学びは、当然にクリアされている学びの機会になるでしょう。

もちろん、全てを強制的に教えることはないけれども、その子の資質や役割、興味関心、発達の程度、健康や体力のレベルに応じて、相応しい学びの機会が与えられるわけです。興味関心が湧いていない段階で学びの機会を押し付けると、勉強嫌い、ということが起きてしまいます。しかし、皆さんもどうでしょう、私もそうですが、大人になってから学んだことの方が身になっているのではないですか。自ら学ぼうと思ってから学んだことは、ものすごく身になるものです。それは、国語、算数、理科、社会・・・全てにおいて言えることですし、だから、本質的で調和した、宇宙の叡智に満ちた活動や学びの場に、子供たちを晒しておく、泳がせておく、自由にさせておく、というのが一番良いんです。特に小さい子供たちは、つかず離れずで、その辺に居させたらいいんです。目だけ配りながら、自由にさせておく。

馬渕:そして、この「泳がせておく場所」がキモになるのです。毎日、型にはまったイノチの躍動や宇宙の叡智に乏しい環境、強制的な仕事や学びの環境に泳がせておくと、勉強嫌いになったり、「塾に行かなくっちゃ」になったり、仕事嫌いになったりしますが、「NOW」の様な環境に泳がせておくと、人は勝手に、生まれ持った役割や働きのプログラム、即ち「天命」にスイッチが入って、その為に必要な学びを自ら進んで、自然に自分自身に体験させるようになっていくのです。

鶴飼:本当にそうですね。我が家で育っている馬渕の孫、4歳の元気ぼうずも、料理が大好きで、我々が料理をするときは、その姿にくぎ付けです。自分でも野菜くずや敷地に生えている食べられる草なんかを集めて来て、子供用の安全な包丁で丁寧に刻んだり、塩を当てたりして、一品作って振る舞ったりしますが、おままごとかと思いきや、結構おいしかったりして驚きます。

とにかく、健全な子供は、もちろん大人も本来そうですが、必要な学びに対しては、強烈な発露が生まれる様にできているのです。


<唯一のエッセンス>

ようは、教育は、大人も子供も同じですが、唯一のエッセンスは、「その人の内側から『普遍意識』が展開する、その機会を作る」それだけです。で、どの人にも、どこかの世代、どこかの時点で、必ずそのことが起きます。それは、「悟りの第一段階」とも言えますが、そして、究極の悟りは、普遍意識そのものになることです。

・ 入口としては、まず普遍意識が芽生え、

・ そして、学びの過程ではずっと、その人を通して普遍意識が展開する

・ そしてそれが日常となれば、その人は「天命を生きている」ということができ、

・ そして、その人が「普遍意識そのものになる」、となれば、それは聖者の入口、聖者の末席ということ、

・ あとは、そのレベルは無限、どんな聖者であれ神々であれ、無限に進化成長している訳です。

ですから、そういう学びの機会と環境である、ということが大事なわけです。

子供たちも、そういう環境に晒しておく、泳がせておくと、その子の天命に照らして、「今学ぶ必要のあること」には、絶対に食いついてきます。「その時」に、その求めに応じて、チューニングを通して、適切に完ぺきに、何でも提供できるというのが大事で、そのことができる大人たちが、当たり前に日常を生きている、日々の営みを繰り広げている、ということが大事であり、それこそが「真の教育のための学校」NOWのエッセンスということになります。


<日常の意識状態>

もちろん、身体のことも扱います。これまでの子供のためのプログラムやACT YOGAでも、「呼吸、中心、内なる静寂」というのは重点的に扱っていた訳ですが、NOWの日常のカリキュラムでも、当然、このことは扱います。

作業に入る前に、「どういう状態で作業に臨むのか」というのが重要で、「呼吸、中心、内なる静寂、一体性、今ここ・・・」これは、本当に大切なプロセスです。

A:うちでも子供たちが、二人で向き合って、プログラムで学んだことを復習しています。前回一人しか参加しなかった後は、「今回はどんなことやった?」「これは前もやったね」「これは今回初めて」とか言いながら、色々と深めていました。私は知らないフリしてるんですけど、目をつぶって身体と呼吸を感じながら脚を回したりしてました。(笑)

鶴飼:素晴らしいですねぇ。
(中略:教育システム、社会システムの現状について)

ですから、NOWでは、ひとりひとり、大人も子供も、日常を通して、内側から本当の喜びを体験すると思います。甘くないですが。やはり、氣が入ってくると、今まで染み付いていた癖や甘さ、嘘偽り、未熟さが全部露呈しますし、そこと向き合うプロセスは、究極のニュートラリティーが必要ですし、本質的な喜びはもちろんあるのですが、やはり甘いものではありません。

馬渕:でも、関わる人は皆、そんなところを通りながらも、顔つきも変わって来たし、体型も、話す明確さ見違えるレベルにシフトして来ています。年輩の人も、若い人も、子供たちも。本当に凄いですね。


<学術的サポート>

鶴飼:この「真の教育のための学校」NOWで学んで行くと、中学校卒業くらいの学力は当たり前に身についている状態になりますが、本人が望めば、さらに学問を学ぶ上でのサポートができます。

実は、「学問的な思考活動を天命に持つ人」というのは、1%程度だと言われたりしますが、もし、そういう役割の子がいれば、大学へ行ったり、大学院へ行ったり、海外でドクターを取得したりという子も出てくるかもしれませんが、そういう子達にも、学びに相応しい教材や、相応しい場所、相応しい人をどこまでもガイドすることが出来ます。

今の地球社会では、「本物」というのは、限られていますね。滅茶苦茶賢い人とか、その道の達人は存在していますが、「トータルを俯瞰した、宇宙の真理と繋がった、すべてと調和した本物の智慧者で、かつ、その道の第一人者」となると、もの凄く限られてきます。

でも、必ず存在します。我々は、その子をそういう人と繋ぐこともできます。

そういう意味で、どこまででも、その子の役割をサポートしていけます。

日本の大学の受験勉強くらいまででしたら、どこの大学でも、私や馬渕とでサポートすることはできるでしょうが、まぁ、自らそこまでやりたいと望む子がいたとすれば、自分自身がどうしてもその様に学びたい子な訳ですから、とてもスムーズに望む大学、望む学習環境に入れるでしょう。


<本物の証>

鶴飼:(略:何人かの、ご縁のある本物の智慧者について)

彼らは、死を覚悟したことが何度かあった訳で、ですから、肉体にも現象にも執着が無いわけです。何があっても、ピクリともしない、内側の静寂が乱れない。それでいて、役割に命を懸けている。このバランスが、本物の証と言えます。

馬渕:私たちも、ぞれぞれに死にかけた経験があるね、何度か、文字通り。まぁ、またそんな時が来たら、そんな話をしましょう。

鶴飼:ですから、NOWも、「地球が調和した状態」になる「ため」に活動する訳ではないんです。それが自然であるからその様にするだけ、その活動が自ずと立ちのぼってくるからその様にするだけなのです。

これから先、どれほど本質に根ざした活動をしようが、地球社会が調和に向かう保証はどこにも無い訳です。

ただ、いつどこで、どの様な状況でも、常にすべてと調和した存在で在ることがすべてな訳です。どの様な状況にあっても、「今ここ」で自分を通して普遍意識が展開する、全体性、一体性、永遠のイノチと一つの存在で在ることが重要なのです。

永遠のイノチとは、実在するたった一つの宇宙大生命、つまり普遍意識のことですが、これを、「概念」ではなく、感覚として「体験」が起きたら、何があっても無くても、大丈夫になります。不安や恐れが一切無い状態になります。それでいて、非常に躍動的で、生き生きした状態なんです。

その状態になることが、まず大事な訳であって、ですから、「真の教育のための学校」NOWに関わる殆ど全ての人は、その様な意識状態になると思います。


< NOW 「今と調和して生きる」>

そして、NOWで起きる活動も、普遍意識の現れ、つまり、地球を調和させる様な方向の動きになるけれども、別に「地球社会の調和」を目指している訳ではありません。

「今、『今ここ』と調和して生きる」ということを体験し、その様に生きることが周囲に伝染する様な存在になる、一つの起点になるだけなのです。

ところが、この「現われはどちらでもいいんです」という意識状態が、実は一番有効に機能するのです。つまり、現われに調和をもたらす力が一番高い訳です。

「何かの為に」という意識で臨むと、周波数がもの凄く下がるんです。実在しない「未来」にフォーカスがあるので、普遍意識が展開せず、人間の浅知恵しか使えなくなります。どんな有能な人でも、大宇宙小宇宙、大生命小生命をことごとく機能させ、展開させ、調和させているこの宇宙の叡智、即ち普遍意識に比べれば、やはり浅知恵な訳ですから、人間の限られた認識に基づく、限られた活動しか出来なくなります。

未来にゴールを設定すればするほど、現象への思い入れを強くすればするほど、周波数が下がり、効率が下がります。

しかし、「現われはどちらでもいい」「今と調和して生きる」「普遍意識そのものとして生きる」という在り方が、結局は一番、自分の内側にも外側にも調和を広げていくわけです。

「真の教育のための学校」NOWは、「今、『今ここ』と調和して生きる」という「場」であり、まさに「NOW」なのです。

馬渕:魂は、まさにそのことを思い出し、体験しに来ているのよね。

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議事録の抜粋は以上です。
かなり長い記事となりましたが、このことを知りたかった方にこそ、分かちあうべき重要な内容だと認識しています。

いつもありがとうございます。

鶴飼哲也

※ 追伸さらに具体的には、「こちら」も併せてご覧ください。



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